Apfelstrudel

道の途上

プラトン『ソクラテスの弁明』一読

孔子ブッダ、イエスムハンマド、そしてソクラテス――古来「聖人」と呼ばれてきた彼らは、自らは書物をひとつも著さなかった。彼らがいかなることを語りそしていかに振舞ったか、それは主に彼らの弟子たちの証言を通して知られるのみである。

ソクラテスがいかに生きたかについては、主にクセノフォンの証言と、プラトンの初期著作を通して知ることができる。しかし、プラトンの著作はあくまでもプラトン自身の語りであり、実際のソクラテスの有りようそのものとはズレがあることも認めなければならない。ソクラテスプラトンの思想を峻別することは、確かに著述年代や著述内容からの推定によってある程度は可能ではあるだろうが、明確には不可能である。

とはいえ、歴史そのものを解明することは私にはさして重要ではない。重要なのは、読まれる客体であるテクストと読む主体である私の関係である。テクストにおいて何が語られていて、私が何を読み取ったのか、私がどのようにテクストと対話し、どのように即時的な生の場においてその知恵を展開するのか、これこそが古典を読む意義ではないかと思う。

さて、今回は『ソクラテスの弁明』である。副題は付されていない。

齢70のソクラテスは、「青年を腐敗させ、国家の認める神々を認めずに、別の新しいダイモン(鬼神)を祭っている」という理由で告訴されてしまう。舞台は、その審議において「法律の規定に従い」ソクラテスが弁明を試みる場面である。告発者たるメレトスとの少々の対話を除けば、ソクラテスは「アテナイの諸君」と一般市民に対して呼びかけ、演説を行う。短い問答を繰り返す他の初期対話篇とはこの点で異なる。

しかし、この「弁明」は、自身の有罪を認め減刑を求めるものでも、単に自身の無罪を市民に納得させるためのものでもなかった。そのうえ、対話篇後半からは法廷弁論の形式を超えて彼自身の主張がなされる。結果的に市民の投票によって死刑判決が下されたが、そのときも国外追放の刑を申し出るようなことはしなかった。彼ははじめにこう断る。

「わたしには、それ(=弁明)がどんな仕事ということは、ぜんぜんわからないというわけではないのです。しかし、まあ、とにかく、そのことの成否は、神のみこころにおまかせして、ただ法律の規定に従い、弁明をしなければなりません。」

彼がなぜ、それも死ぬまで、国外逃亡をせず、ただ法律の規定に従ったのか、それは『クリトン』において語られる。この対話篇で問題なのは、彼が神の御心をどのように捉えているかである。

ソクラテスは、彼の友人から、デルフォイの神託において次のような証言を授かった。「ソクラテスよりも賢い者はいない。」と。

しかし、ソクラテスには、長い間考えてもどうしても自分が賢い人間とは思えなかった。そして、神が嘘を吐くとも疑えなかった。そこで、彼は知恵があると思われるさまざまな人々を訪ねることにした。

さまざまに知者と呼ばれる者たちを訪ね、例の問答法(ディアレクティケー)によって彼は彼らをやり込めていく。ソクラテスは、『エウテュプロン』においても、彼自身は何も知らないと言い張り、対話相手に善美に関わる特定の事柄(敬虔とは何か)の主張をさせてから、相手の論の隙を突いて、論駁する。そのようなことを知者と思われるあらゆる人々に対して行った。しかし彼は納得のいく回答を引き出すことができなかった。ついに彼は気づく。

「この人間より、わたしは知恵がある。なぜなら、この男もわたしも、おそらく善美のことがらは、何も知らないらしいけれども、この男は、知らないのに、何か知っているように思っているが、わたしは、知らないから、そのとおりに、また知らないと思っている。だから、つまりちょっとしたことで、わたしのほうが知恵があるということになるらしい。」

所謂「不知の知」(無知の知は最近ではこのように訳される)である。彼は、やはり神託は誤っていなかった、そして、人間の知恵というのは価値のないものなのかもしれないと神託は述べたいのかもしれない、とまで言う。

次に、ソクラテスは、彼の告訴人たるメレトスを告発する。ダイモンも国家の神々のひとつであるのに、神々を認めないだなんておかしい、そして、私(=ソクラテス)は、老若男女問わず議論をしているし、さらに私の行なっていることは、自分の他の人々を善へと導く行為だ、それが自分の使命だ、と。

「つまりわたしが、歩きまわって行なっていることといえば、ただ次のことだけなのです。諸君のうちの若い人にも年寄りの人にも、誰にでも、たましいができるだけすぐれたよいものになるよう、ずいぶん気をつかわなければならないのであって、それよりも先に、もしくは同程度にでも、身体や金銭のことを気にしてはならないと説くわけなのです。そしてそれは、金銭をいくらつんでも、そこからたましいのよさ(徳)が生まれてくるわけではなく、金銭その他のものが、人間のために善いものとなるのは、公私いずれにおいても、すべてはたましいのよさによるのだからと言うわけなのです。」

彼の言い分では、彼は、青年をとっつかまえて善美を議論するのは、彼らを腐敗させるためではなく、むしろその魂を善いものにするためである。それは、神がソクラテスに与えた使命である。メレトスの告発は、ソクラテスに言わせれば、ソクラテスを憎む人々による中傷と嫉妬が重なった結果なのである。

そして彼は宣言する。私は決して死ぬまでフィロソフィーをやめない、つまり知を愛し求めること(哲学)をやめない、と。仮にフィロソフィーの活動の禁止と引き換えに国外追放の刑を求め、ただ生き延びることを選んでも、それは神に対する不服従である。

「またさらに、人間にとっては、徳その他のことについて、毎日談論するという、このことが、まさに最大の善きことなのであって、わたしがそれらについて、問答しながら、自分と他人を吟味しているのを、諸君は聞かれているわけであるが、これに反して、吟味のない生活は、人間の生きる生活ではないと、…」

ソクラテスの弁明』で語られている内容は、部分としては少し難しいが、それら諸部分は他の対話篇において議論されていることもある。細かい吟味は抜きにして、以上が『弁明』の内容としたい。

ソクラテスは、さまざまな事柄について、必ず自らの吟味を経てから答える。神託においてもそれは例外ではなく、自ら信仰する神の言葉であっても、ありのままに受け入れるのではなく、その言葉を自らの口と足を用いて深く吟味する。しかし、彼は当時のアテナイの誰よりも深く篤く神々を信仰し、かつ神々に愛されたのであった。

彼の振る舞いは、当時さまざまな宗教や政治的な言説が飛び交うカオスであったアテナイにおいて、自国の神々に奉仕する信仰者そのものであった。彼はその生き様によって、多くの弟子と敵を生み出した。そして、彼はひいては西洋思想の豊かな源泉にもなったのである。

次回は『クリトン』。