Apfelstrudel

道の途上

2018.08.08


生涯のうち一箱に留めておくつもりであったタバコを、もう一箱買った。大学内のキャンパス内で喫煙するという経験をしてみたかったからである。所属大学のキャンパス内の喫煙所が今年の夏休み限りで全面撤廃されると聞き、消失する場所ないし経験に対するある種の愛着を感じたことも理由の一つかもしれない。

 


煙というのは死の象徴である。煙草に火がつき、先端からじりじりと煙を上げてその長さが短くなるさまを見るとき、私はそこにひとつの死を見て取ることができる。それを漂う甘い香りとともに逃さず捉えながら、私は残された時間について思いを巡らせる。

 


今はただ、為すべきことに心を向けるのみである。

 


「歪んだ無常の遠き日も セヴンスターの香り 味わう如く季節を呼び起こす」

2018.05.10 1日目

昨夜は深夜2時ごろまで起きて、スピノザ『エチカ』第1部定理11備考を読んでいた。《quod cito fit, cito perit.》「早く生ずるものは早く滅びる」という格言の引用は唐突なように思われる。いや、言い回しの表層部に囚われずに、備考全体の主張は何であるのかを考えながら、一文ごとに述べたいことを追う必要がある。

 


少し面倒だが、ラテン語での原文を一文ずつ付箋に書き出し、それらをメモパッドに貼り付け、眺めることにした。これだけで文相互の関係はこれまでよりずっと追いやすくなった。…こんなことをしていたせいで今眠い。

 


『エチカ』は迷宮のような書物だ。丹念に読むほど、何を意図して書かれた書物なのかよくわからなくなってくる。だんだんと、僕が何のためにこの本に頭を抱えているのか、そもそも何で哲学を学んでいるのか、今後も学ぼうと思うのか、よくわからなくなる。しかしそれでもいいと思う。探求の意味は常に更新され続ける。そうした自己変容を今は楽しみたい。

 


Twitterを見るのを中断した。今回はなるべく長い期間中断してみようと思う。中断した分捻出された時間は、ひたすら本を読むことに充てたいと思う。今回はうまく行く気がする。

2018.04.20 駅前

午前中は死んだように過ごす。普段午前中は自分の研究に費やすようにしていたが、今日は寝坊。自分が無能だと知っているならとっとと研究を諦めろ。人に迷惑をかけてきたということを知っているならとっとと人生をやめろ。自分死ね。このことで頭がいっぱいだった。

 


昼休みはミーテで前に立って話し、たまり場で新入生と自己紹介カードを書く。新入生は皆話しやすい。部の将来は少し明るいかもしれない。

 


4限にラテン語上級の授業を受ける。予習不足で落ち着きのない他の受講者に少しウンザリするが、授業内容自体は楽しいのでそれで良し。

 


1人になると再度惨めな自分を発見する。これはいよいよもう無理か。せめて懺悔でもしようか。タリーズでコーヒーを飲みながら、判断力と記憶力の鈍った頭で、昨日買ったメモパッドにこれまで犯した罪や自分の醜さ、無能さについてブチまける。何を書いているのかよくわからなくなっていく。文字もロクに追えなくなっていく。まあ今日はこれでいいか。LINEでの事務連絡を返そうとしたが、長文をほかのトークに誤送信してしまった。何をやっているのか。

 


信仰心は無い。神なき人間は惨めである、とパスカルは言った。本当に惨めだ。手を組みながら目を瞑り、祈るような所作をよくする。こうしているとそのうち心の声も静まっていく。書きなぐった文字群も少しずつ解読できるようになった。

 


何でもいいから気分転換をしたかった。書店で久しぶりに漫画を買った。前から読みたかったものだけど、帰りの電車の中で読み終わってしまった。これから家までの徒歩が長い。気分の良いうちに家に帰ってしまわないと。イヤホンを耳にねじ込んだ。が、そこで女性の歌う声が聞こえてきた。

 


普段路上ライヴの類はスルーしてしまう。少し良いなと思う音楽が聞こえても、カンパができないから、周りに人がいないから、と理由をつけてそそくさと家路を急いでしまう。今日は足を止めた。足を止めて聴く人は誰もいなかった。イヤホンを外した。僕は聴き惚れていた。

 


作詞作曲それぞれ自分で手がけたらしい。気持ち良い。癒される。こういうとき音楽の素養がないとうまく評価を与えられないのだろうな、ともどかしくなった。我を忘れるようだったが、それでいて我に帰ったような気がした。ただの偶然の出会いなのだけど、その歌は自分に向けられているような気さえしてしまった。ああ、自分のこういうところ気持ち悪いな。本当は彼女の容姿が好みなだけなんじゃないのか。さっき書きなぐったばかりだ。あんな醜さを抱えた僕がずっと居たら気持ち悪いだろう。そろそろ帰らないとな。

 


お金を置くところだと思っていた場所にはCDが置いてあった。この人の曲を聴くのは今日限りにしておこう。十分元気は貰った。「学生なのでこのくらいでお許しを」と昨日買った付箋に書いて、それを貼った千円札をCDの下に置いて去ろうとした。

 


「お兄さん、待って!」驚いて振り返ると、歌っている最中のはずなのに、彼女は僕にCDを渡した。僕はびっくりして、考える暇もなくCDを受け取ってしまった。「ありがとうございます」僕は家路に着いた。何か罪悪感のようなものを感じた。まだほとんどの人にとって知られていないアーティストのCDを貰うのは初めてだった。

 


そのCDにはデモテープが3曲入っていた。今日歌っていた他の曲は入っていないのか。どうやらまたライヴを開催するみたい。…陰ながら応援させて頂くくらいなら迷惑ではないはずだ。暖かい風が吹く。そういえばまた春が来たのだった。

2018.02.24

稽古&バイト&買い物。今日はゆっくり起き上がる間もなかった。鏡を見たら目の開き具合が左右で均等でない。なんだか疲れてしまった。

目の前のことをこなすのに精一杯なときは、決まって少し心を閉じたくなる。部屋の明かりを薄暗くして、ベッドに倒れこんで、好きな音楽を流す。こういうときに流すプレイリストがある。数カ月前の少し追い詰められていたときによくやったことである。今日も頑張った。

体力が足りないな。筋トレはサボっていないものの、負荷とプロテインが足りないのかもしれない。疲労に疲労を重ねている気もする。僕は自分の身体の構造をよく理解していない。もっとも身近な味方にもかかわらず。やれやれ。本当に物を知らない奴だ。

自分に強い感情を持つ相手に抱きしめられたい。適当に言葉を放つから全部聞いてほしい。否定もしてほしい。いけないな。少し弱っている。こういうときは何も考えずに寝るのがいい。明日になれば今日の弱い気持ちなんて忘れてしまうだろう。そうであってほしい。自分には少し成長してほしい。

「おこのみで」

相手にとっても私にとっても心地の良いこと。こればかり考えている。あなたが愛しているなら私も愛する。私が愛したいのはあなたが私を愛しているからであり、あなたが私に愛されたいからである。あなたがもし私を嫌いなら、少し寂しいけれどあなたから離れよう。少し寂しいだけである。

所変われば品変わる。お相手も変わる。愛という言葉が嫌いだ。私は永遠にしか関心がない。あなただって、ひとりぼっちで死んでいく。ならばこの縁も虚ろ、永遠を知らない哀れな人間が固執するもの。

いつだって確かではない。明日だって運任せ。ならば私はこの一瞬を愛そう。愛する人はあなただけ。なぜなら今ここの私とあなたしか確かなものはないのだから。

2018.02.23 ひとつの愛

1万字程度のレポートを書いた。いくらか論証を抜かしてしまったが、限られた時間で妥協はしなかった。これが今の私の実力である。ここはひとつ、長文を書いたという事実によって達成感を得ておく。

いつもお世話になっている、大切な人へ向けて書いた。その人を思い浮かべながらテーマを考えたら、「スピノザ『エチカ』における愛の概念について」というタイトルが付いた。書いている途中何回も挫折しそうになったが、その人に渡したいという意地によってなんとかやり遂げた。非常に感謝している。僕はその人に近親者のような愛の感情を持っている。

もうひとつの意味合いとしては、卒論の準備作業をこの時期に行っておきたかった、というのがある。1万字書くという感覚はどのようなものか、現時点でどれだけテーマの本を読めているのか、卒論テーマを書く際の思考の過程はこれで正しいのか、などの確認をしておきたかった。その目的は不完全ながらも達成された。

なんにせよこれで一区切りである。大学生活はあと四分の一。特段焦りはしないが、やるべきことややりたいことは山積みである。とにかく求めること。この一年がおそらく一番楽しいはずである。

高潔さについて

「問い自身を、例えば閉ざされた部屋のように、あるいは非常に未知な言語で書かれた書物のように、愛されることを。」

(リルケ『若き詩人への手紙』)

 

求めるのは真なる知識それ自体である。想像力に基づく知識でも、自己顕示欲のために利用する知識でもない。諸々の軽薄な知識から離れ、思考し、真理を求めること。

 

論証が妥当でないということは、それだけ真理から遠ざかっているということを意味する。妥当な論証はそれ自体善く、かつ美しい。思考を厳密にし、その帰結を他者に対して説得的に提示できるようにすること。また、他者の考えと、その考えに対する自分の理解の枠組みの両方を理解するよう努めること。

 

書物の中であれ、日常生活の中であれ、真理は隠れることを好む。ある目的によって人生全体を秩序づけることで、現実の経験からこぼれ落ちてしまう事柄がある。機を見極め、逃さないこと。

 

上記の事柄をつねに心に留めておきながら、行動すること。回り続ける独楽のように、軸を保ちながら、動き続けること。手を止めないこと。足を止めないこと。