Apfelstrudel

道の途上

2019.2.3 2018年度を終えて

先日最後の大学院入試を受け、私にとっての2018年度がようやく終わった。部の最高学年(主務)として臨んだ二度の合宿と演武会に加え、卒業論文と大学院入試の勉強に追われた、凝縮された日々だった。「もう8月!?」「もう9月!?」「もう11月!?」などと友人たちとしばしば口にするほどに、過ぎ去る時の早さに驚いたものだった。とてもこの場で語り尽くせるほどの密度ではない。

私は、器用に多くの事をこなせるタイプではないし、とりたてて抜きん出た能力があるわけでもない。だからこそ、1つの軸を定め、徹底的に深めつつも、その深度で以って広く物事を見渡すというのが私のスタイルなのだろうと思っている。その軸というのは、稽古面では鉄騎という型であり、学術面ではスピノザという哲学者だった。

卒業論文では哲学者スピノザの主著『エチカ』の「最大の難所」と呼ばれている箇所の論証の注解を行った。執筆の最大のそして個人的な目的は、「これまでその真髄が解釈史上明らかにされてこなかった箇所に視座を据え、リニアーな論述ではない『エチカ』のテクスト全体に一定の読み筋をつけ、また古典的哲学書の細部にこだわった読解及び考察を通じて思考の訓練を行う」ことだった。ひとまずその目的は達成されて満足している。

これから2年間の修士課程でも、引き続き卒業論文を補う形で『エチカ』に取り組む。『エチカ』を理論的支柱とした哲学的思索を展開する、というのが私にとっての主要の課題である。そのためには、『エチカ』では何が問題とされているのか、あるいはこう言って良ければ『エチカ』は何のために書かれているのかを明らかにした上で、その妥当性を問う、という仕方でスピノザ哲学の真髄を取り出すよう努めたい。

omnia praeclara tam difficilia, quam rara sunt.”「すべて高貴なるものは稀であるのと同様に困難である」という『エチカ』末尾の言葉を胸に、明日からも進み続ける。

Narcolepsy Driver

明日からはまた切り替えて、新たな日々が始まり、新たな生へと変容するかのように生きよう、と決心した夜の、翌朝午前5時。夜明け前を歌うceroの音楽を流しながら、布団から出て、洗面を済ませ、着替えてコートを羽織る。顔のマッサージと香水も忘れない。

 


リビングの暖房を点けたら、徒歩2分の距離のコンビニへコーヒーを買いに行く。夜明け前の真冬の寒さは、目を覚ますのには少し刺激が強い。家に戻り、手帳に記した格率を音読したら、活動開始。朝の部は得意のラテン語と英語を復習してヴォルテージを上げる。

 


新たな生に目覚めるための儀式も、何度も反復していれば習慣となり、さらに新たな生へと変容させる追い風となる。惰性な反復とならぬよう、イヤホンから流れるシティポップが、寝ぼける私を鼓舞する。Narcolepsy Driver、目覚めよ、目覚めよ。

2018.08.08


生涯のうち一箱に留めておくつもりであったタバコを、もう一箱買った。大学内のキャンパス内で喫煙するという経験をしてみたかったからである。所属大学のキャンパス内の喫煙所が今年の夏休み限りで全面撤廃されると聞き、消失する場所ないし経験に対するある種の愛着を感じたことも理由の一つかもしれない。

 


煙というのは死の象徴である。煙草に火がつき、先端からじりじりと煙を上げてその長さが短くなるさまを見るとき、私はそこにひとつの死を見て取ることができる。それを漂う甘い香りとともに逃さず捉えながら、私は残された時間について思いを巡らせる。

 


今はただ、為すべきことに心を向けるのみである。

 


「歪んだ無常の遠き日も セヴンスターの香り 味わう如く季節を呼び起こす」

2018.05.10 1日目

昨夜は深夜2時ごろまで起きて、スピノザ『エチカ』第1部定理11備考を読んでいた。《quod cito fit, cito perit.》「早く生ずるものは早く滅びる」という格言の引用は唐突なように思われる。いや、言い回しの表層部に囚われずに、備考全体の主張は何であるのかを考えながら、一文ごとに述べたいことを追う必要がある。

 


少し面倒だが、ラテン語での原文を一文ずつ付箋に書き出し、それらをメモパッドに貼り付け、眺めることにした。これだけで文相互の関係はこれまでよりずっと追いやすくなった。…こんなことをしていたせいで今眠い。

 


『エチカ』は迷宮のような書物だ。丹念に読むほど、何を意図して書かれた書物なのかよくわからなくなってくる。だんだんと、僕が何のためにこの本に頭を抱えているのか、そもそも何で哲学を学んでいるのか、今後も学ぼうと思うのか、よくわからなくなる。しかしそれでもいいと思う。探求の意味は常に更新され続ける。そうした自己変容を今は楽しみたい。

 


Twitterを見るのを中断した。今回はなるべく長い期間中断してみようと思う。中断した分捻出された時間は、ひたすら本を読むことに充てたいと思う。今回はうまく行く気がする。

2018.04.20 駅前

午前中は死んだように過ごす。普段午前中は自分の研究に費やすようにしていたが、今日は寝坊。自分が無能だと知っているならとっとと研究を諦めろ。人に迷惑をかけてきたということを知っているならとっとと人生をやめろ。自分死ね。このことで頭がいっぱいだった。

 


昼休みはミーテで前に立って話し、たまり場で新入生と自己紹介カードを書く。新入生は皆話しやすい。部の将来は少し明るいかもしれない。

 


4限にラテン語上級の授業を受ける。予習不足で落ち着きのない他の受講者に少しウンザリするが、授業内容自体は楽しいのでそれで良し。

 


1人になると再度惨めな自分を発見する。これはいよいよもう無理か。せめて懺悔でもしようか。タリーズでコーヒーを飲みながら、判断力と記憶力の鈍った頭で、昨日買ったメモパッドにこれまで犯した罪や自分の醜さ、無能さについてブチまける。何を書いているのかよくわからなくなっていく。文字もロクに追えなくなっていく。まあ今日はこれでいいか。LINEでの事務連絡を返そうとしたが、長文をほかのトークに誤送信してしまった。何をやっているのか。

 


信仰心は無い。神なき人間は惨めである、とパスカルは言った。本当に惨めだ。手を組みながら目を瞑り、祈るような所作をよくする。こうしているとそのうち心の声も静まっていく。書きなぐった文字群も少しずつ解読できるようになった。

 


何でもいいから気分転換をしたかった。書店で久しぶりに漫画を買った。前から読みたかったものだけど、帰りの電車の中で読み終わってしまった。これから家までの徒歩が長い。気分の良いうちに家に帰ってしまわないと。イヤホンを耳にねじ込んだ。が、そこで女性の歌う声が聞こえてきた。

 


普段路上ライヴの類はスルーしてしまう。少し良いなと思う音楽が聞こえても、カンパができないから、周りに人がいないから、と理由をつけてそそくさと家路を急いでしまう。今日は足を止めた。足を止めて聴く人は誰もいなかった。イヤホンを外した。僕は聴き惚れていた。

 


作詞作曲それぞれ自分で手がけたらしい。気持ち良い。癒される。こういうとき音楽の素養がないとうまく評価を与えられないのだろうな、ともどかしくなった。我を忘れるようだったが、それでいて我に帰ったような気がした。ただの偶然の出会いなのだけど、その歌は自分に向けられているような気さえしてしまった。ああ、自分のこういうところ気持ち悪いな。本当は彼女の容姿が好みなだけなんじゃないのか。さっき書きなぐったばかりだ。あんな醜さを抱えた僕がずっと居たら気持ち悪いだろう。そろそろ帰らないとな。

 


お金を置くところだと思っていた場所にはCDが置いてあった。この人の曲を聴くのは今日限りにしておこう。十分元気は貰った。「学生なのでこのくらいでお許しを」と昨日買った付箋に書いて、それを貼った千円札をCDの下に置いて去ろうとした。

 


「お兄さん、待って!」驚いて振り返ると、歌っている最中のはずなのに、彼女は僕にCDを渡した。僕はびっくりして、考える暇もなくCDを受け取ってしまった。「ありがとうございます」僕は家路に着いた。何か罪悪感のようなものを感じた。まだほとんどの人にとって知られていないアーティストのCDを貰うのは初めてだった。

 


そのCDにはデモテープが3曲入っていた。今日歌っていた他の曲は入っていないのか。どうやらまたライヴを開催するみたい。…陰ながら応援させて頂くくらいなら迷惑ではないはずだ。暖かい風が吹く。そういえばまた春が来たのだった。

2018.02.24

稽古&バイト&買い物。今日はゆっくり起き上がる間もなかった。鏡を見たら目の開き具合が左右で均等でない。なんだか疲れてしまった。

目の前のことをこなすのに精一杯なときは、決まって少し心を閉じたくなる。部屋の明かりを薄暗くして、ベッドに倒れこんで、好きな音楽を流す。こういうときに流すプレイリストがある。数カ月前の少し追い詰められていたときによくやったことである。今日も頑張った。

体力が足りないな。筋トレはサボっていないものの、負荷とプロテインが足りないのかもしれない。疲労に疲労を重ねている気もする。僕は自分の身体の構造をよく理解していない。もっとも身近な味方にもかかわらず。やれやれ。本当に物を知らない奴だ。

自分に強い感情を持つ相手に抱きしめられたい。適当に言葉を放つから全部聞いてほしい。否定もしてほしい。いけないな。少し弱っている。こういうときは何も考えずに寝るのがいい。明日になれば今日の弱い気持ちなんて忘れてしまうだろう。そうであってほしい。自分には少し成長してほしい。

「おこのみで」

相手にとっても私にとっても心地の良いこと。こればかり考えている。あなたが愛しているなら私も愛する。私が愛したいのはあなたが私を愛しているからであり、あなたが私に愛されたいからである。あなたがもし私を嫌いなら、少し寂しいけれどあなたから離れよう。少し寂しいだけである。

所変われば品変わる。お相手も変わる。愛という言葉が嫌いだ。私は永遠にしか関心がない。あなただって、ひとりぼっちで死んでいく。ならばこの縁も虚ろ、永遠を知らない哀れな人間が固執するもの。

いつだって確かではない。明日だって運任せ。ならば私はこの一瞬を愛そう。愛する人はあなただけ。なぜなら今ここの私とあなたしか確かなものはないのだから。