Apfelstrudel

道の途上

2016.12.16 深夜

 

最近はよく空を見上げる。とりわけ、月を眺める。

太古の人々は、月を眺めて何を考えたのだろうか。毎晩月を眺めてみると、毎日同じくらいの時間にある決まった場所から月が現れ、日によって形が変わったりする。しかもその形の変化の周期が潮の満ち引きと関係しているらしい。

月は他の夜空の星々の中でも一際大きくかつ輝いている。また、月は雲には隠れてしまう事実から、どうやらはるか天空の彼方にあるらしいということがわかる。しかし、こちらに落ちてくることはこれまで一度もなかった。これからはどうだろうか。

原初の天文学は、月下の世界と天上の世界との関係の把握であった。ひたすら夜空を観想(テオーリア)し、星々の運行の法則(ロゴス)を探り、その秩序から月下の生活の指針を立てた。

今ではどうだろう。私は月をぼんやりと眺めながら、手元のスマートフォンで時間を確認する。月を眺め始めてまだ20分か、月が動いている感じはしないな、ああなぜこんなことをしているのだろう、手元にあるテキストを読み進めなければ…。

私はハッとした。こんなに急いでどこに行くのだろうか。

最初の哲学者たち、すなわち、ロゴスによる自然(フュシス)の把握を試みた人たちにとっては、まさに自然を観想することが彼らにとって至善であり、至福であったに違いない。私はひたすら「哲学的」なテキストに取り組んでいるが、果たしてそれが知恵を愛することになっているのだろうか。真理探究の上では、自然における様々な事実に子どものように驚くことが何より重要なのではないか。

天上界の秩序そのものであった“時間”は、今や時計の針やスマートフォンの光に成り下がっている。しかしこれらが生まれるよりずっと前から、星々の運行は月下の世界の生きとし生けるものの生活を規定してきた。今一度上を向いて観想しないではいられないような、そんな気がする。

2016.10.02 落日

夏はいつの間にか終わっていた。太陽は日々に新しい。同じ川に二度入ることはできない。同じ夏は、二度と来ない。

夏休みは始まる前が一番楽しかったりする。自分のやりたいことをあれやこれやと夢想して、結局やれたことはどれほどあるだろう。

いつまでも自由を謳歌できるわけではない。人は、いつ死ぬのかはわからないが、死に近づいているのは確実だ。あのときはかけがえのない時間であったと、気づいたときには既に遅すぎるものだ。

そういうわけで、夏の成果と反省点を振り返りたい。


成果①:読書スピードが上がった

夏に読み終えたのは以下の通り。
〈授業テキスト〉
小林剛『アリストテレス知性論の系譜 ギリシア・ローマ・イスラム世界・中世まで』
井ノ口哲也『入門 中国思想史』
加賀野井秀一『20世紀言語学入門』
ゴルデル『ソフィーの世界
〈その他〉
ブッダ 真理のことば 感興のことば』
歎異抄
デカルト方法序説
ラッセル『論理的原子論の哲学』
ショーペンハウアー『自殺について』
キルケゴール死に至る病
九鬼周造『偶然性の問題』
山内志郎『感じるスコラ哲学』
村岡晋一『ドイツ観念論 カント・フィヒテシェリングヘーゲル
門脇俊介『現代哲学 哲学教科書シリーズ』
東浩紀動物化するポストモダン
ちくま学芸文庫の『数学序説』
岡崎暁生『音楽の聴き方』
授業テキスト以外は特に目的もなく濫読した。これくらいは読みたいな、というノルマは達成できたのでよかった。
死に至る病』は、読みたいと思った日に読み始め、その翌日に読み終えた。こんなに読めるとは思わなかった(理解できない箇所もあったが理解できないなりにも読めた)。おそらく読解力の質的な飛躍があった。
カント読書会で哲学書の読解に徐々に慣れてきたのもあると思う。ちなみに、カント『プロレゴメナ』は4分の1ほど読み終えた。

成果②:棒術での取り組み

夏合宿及びその準備たる合宿前稽古があった。体調を整え可能な限り前稽古に参加したおかげで、合宿も変な劣等感を感じずすっきりした心持ちで乗り越えることができた。…書き方が悪い。準備が万全だと、余計なことを考えずにすむ、ということ。数歩ほどは成長できただろうか。
気づいたことと言えば、稽古をすると学問をすることは私にとっては相互補完的な関係がある、ということ。稽古によって何か視座を得ることもあるし、学問をするうえで役に立つこともある。逆もまた然り。

成果③:自らのテーマを発見した

哲学にハマるにあたっての自らの根本関心を発見した。すなわち、〈われわれ〉とは何か、〈われわれ〉は何を為すべきか、罪と罰とは、である。
もちろん問いの仕方として浅いのは承知である。しかし、ここから問わないことには、哲学という深い森の中で迷子になってしまう、と思った。ここからさまざまに問いを深めることに関心がある。これについてはいずれ考えがまとまったときに書こうと思う。

反省点①:外国語の勉強をしなかった

全く進まなかった。秋学期はアラビア語の授業を取らないようにしてしまった。予習復習が追いつかなそうだったからである。

反省点②:哲学の古典にあまり触れられなかった

古典的な哲学書をもっと読んでもよかった。これは読む本の選び方だろう。そこまで内容的に高度でないものを選んでしまった。学生は時間があるので、できるだけ邦訳原著に当たらないと、知性が磨かれない。
また、本を借りる機会を持てなかったのもあるが、プラトン全集を読み進めるつもりだったのに、読み進められなかった。これは秋学期の課題にする。

反省点③:哲学史のまとめの作成に失敗した

哲学史のまとめノートを作ろうとしたが、挫折した。哲学史は広大かつ深遠である。哲学史をある種テーマ史として見れば(例えば存在論の歴史とか、言語論の歴史とか、プラトニズムの展開とか)幾分か把握しやすいのだが、そうでない場合は大変骨が折れる。
結局、初学者レベルの哲学史の知識が身についてからは、プラトンアリストテレスを読みつつ少しずつ古典的哲学書を読む他ないようだ。知恵を得るには時間がかかる。地道が近道。

というわけで、秋学期は以下の3つを目標に掲げたい。

①ドイツ語、フランス語、サンスクリット語の授業に真剣に取り組む。ラテン語の初等文法を終わらせる。

②棒術の大演武会で観客をあっと思わせるほどの演武を行う。

プラトン全集を(索引以外)すべて通読する。アリストテレスの『霊魂論』『二コマコス倫理学』『形而上学』を通読する。

アラビア語には試験が終了してから取り組むことにする。③は学期終了よりも早く終わるかもしれないので、そうしたらアウグスティヌス『告白』と聖書とを合わせて読むか、新プラトン主義の著作に当たってみるか、ヘーゲル精神現象学』かニーチェツァラトゥストラはかく語りき』を読むかしたい。

最後に。「人間論」についての著作にたくさん当たってみるかとも思ったが、やめておいた。私の関心テーマとして近い実存哲学や、近現代倫理学においては、ざっと調べた限りだと、それまでの古典的哲学書から視座を得たり、あるいは思考方法を借用していることが多いようだ。ならば、時間をかけてじっくり思考の網目を編んでいくのが良い。

ともあれ、後期は妥協せずに勉強しようと思う。おそらく今後の人生を決めるのはこの秋学期だろう。明日も元気に、プラトンGO。

プラトン『パイドン』一読

《われわれはどこから来て、どこへ行くのか》それは哲学的に原初的な問いでありながら、しかし自己に対して切実な問いである。

ソクラテス以前の哲学者たちは、専ら《自然(フュシス)とは何か》について考えていた。ソクラテスにおいて、初めて《善く生きること》が問題となったのである。

《生きる》とは何なのだろうか。他の動物と比べても限りなく無力かつ無力な状態でこの世に産み落とされ、既にこの世に生きている人々の輪の中に入り、明日のことや数年後数十年後のことに気を払いながら、寿命や事故といった不条理な理由で死んでいく。生きるとは死に行くことなのか?

死とは何か。死は生きとし生ける有限な存在者に必ず訪れる。今私は生きている。しかし死んだらどうなる?天国に行くか地獄に行くか、この迷いの世界において生まれ変わるか、それとも、全くの無か…。死んでみないとわからないか、しかし死んだらもうこの人生に戻ることはできないのではないか。死んだら他人にとっての私は、遺体、遺影、あるいは記憶の中だけの存在になり、そしていつしか空気のそよぎの一部にしかならなくなるのだろう…。

さて、今回扱うのは『パイドン』。プラトンの中期対話篇であるので、彼自身の考えが主人公のソクラテスの口から語られることになる。副題は、「魂の不死について」。

ソクラテスが「国家公認の神々を拝まず、青年を腐敗させた」という罪で告発され、刑死する直前の牢獄にて、彼の弟子たちがソクラテスと最期の対話をする。その対話の内容を後日パイドンがエケクラテスに伝える。大まかな内容としては、⑴ソクラテス自身の死への態度の表明と、⑵霊魂の不滅の証明である。


ソクラテス自身の死への態度の表明

今日「哲学者」と聞くと、「哲学的なことを考える人」「哲学という学問を研究する人」という印象を持つかもしれない。しかし、古代ギリシア、もとい原義においては「知恵を愛する人」であった。ちなみに、日本語の「哲学」は、明治期に西周が英語のphilosophyを訳したものであり、さらにphilosophyはラテン語のphilosophia、philosophiaはギリシア語のピロソピアが元である。

ここでのソクラテス(=プラトン)は禁欲主義的な態度をとる。視覚や聴覚など肉体的な感覚では真理を掴むことはできない。むしろそれら諸感覚は魂を惑わすのであるから、真理の探求には不要である。 本当の哲学者ならば、肉体を蔑視し快楽を抑え、金銭や名誉に囚われず、死んだように生きるだろう。哲学者たちの仕事は、知恵を愛し求めることだからである。

「本当に哲学に携わっている人たちは、ただひたすらに死ぬこと、そして死んだ状態にあること、以外のなにごとも実践しない…」

また、彼は、死を「魂が肉体から分離すること」と定義する正義や善美が本来何であるかは、肉体の目で見ることはできない。魂の目でのみ見ることができる。つまり、肉体から分離独立した魂こそが真理を獲得するのである。

だからといって、彼は今すぐに自殺すべしとは主張しない。なぜなら、人間は神々の所有物であり、自殺は神々が決して許さないであろうから。

しかしケベスはこう反論する。魂は肉体から独立して存在するのだろうか。魂は、肉体から離れると飛散消滅してしまうのではないか、と。ここから、ソクラテスによる霊魂不滅の証明が始まる。


⑵霊魂の不滅の証明

ソクラテスは、次の四つの方法で、霊魂の不滅を証明した。

a.生成の循環構造による証明

冷たいものは熱いものから、熱いものは冷たいものからしか生じない。眠っているものは目覚めているものから、目覚めているものから眠っているものからしか生じない。ゆえに、あるものはその正反対のものからしか生じない。ゆえに、生きているものは死んでいるものから、死んでいるものは生きているものから生じる、すなわち死者たちの魂は存在する。

b.想起説による証明

想起説は『メノン』について書く時に詳しく言及しようと思うので、ここでは簡潔に解説をしておく。

あるものとあるものが等しいとわれわれが言う時、〈等しい諸事物〉についてだけ言及しているのであって、〈等さそのもの〉について言及しているわけではない。 あるものが美しいと言う時、〈美しい事物〉についてのみ言及しているのであって、〈美しさそのもの〉について言及しているのではない。むしろ〈まさにそのもの〉については肉体的な生においては経験することができないのである。

しかしながら、われわれは「これとこれは等しい」「これは美しい」と言うことができる。ならば、この肉体に魂が棲みつく前に、〈まさにそのもの〉(すなわちイデア)について見、知っていたのでなければならない。「等しい」「美しい」と言う時、その都度〈等しさそのもの〉〈美しさそのもの〉を想い出している。したがって、われわれがこの肉体に棲みつく前からも魂は存在したのでなければならない。

(a,bの証明は不十分のように思われる。なぜなら、過去魂がa,bのような遍歴を辿っていたとしても、未来においてもそうであるとは必ずしも言えないからである。「同じ川に二度入ることはできない」「太陽は日々に新しい」と述べたヘラクレイトスの真意を理解しなければならない。)

c.魂とイデアの親類性による証明

ある合成物は、単一なものの複合体である。例えば机は木材と接着剤やネジから成る。ネジは鉄やステンレスなどから成る。ネジ一本に含まれる鉄は電子と中性子と陽子が云々。

肉体は合成物である。合成物は合成物たる限り他のあるものに変化する。変化するとはすなわち自己同一性をもたないということである。等しさそのもの〉〈美しさそのもの〉は自己同一性をもつ。自己同一性をもつものは目に見えないものである。それに対して自己同一性をもたないものは目に見えない。ところで魂は目に見えない。したがって魂は自己同一性をもつ、ゆえに永遠不滅である。

(ここでシミアスやケベスからの突っ込みがないので私が突っ込むが、目に見えない合成物が存在するという可能性は、バークリーのような知覚一元論の立場を取らない限り、ここでは否定しきれないだろう。目に見えるものが自己同一性をもたないからといって、目に見えないものが即自己同一性をもつとは言えない。)

(シミアスとケベスによるソクラテスへの反論はここでは省略する。)

d.イデア論による証明

冷たいものが熱くもあるということはあり得ない。偶数であるものが奇数であるということもあり得ない。雪に対しては熱のイデアは決して近づかない。三に対しては偶数のイデアは決して近づかない。

ここで、魂はその本性上肉体を動かすものである。なぜなら、肉体から魂がなくなると肉体は動かなくなるからである。魂は肉体に生を与えるものである、つまり魂は生の原理である。生の反対は死である。ゆえに魂は死を受け入れない。したがって、魂は不死なるものであり、不滅である。

ソクラテスは、霊魂不滅の証明を終えると、「その言い伝えとはこういうものだ」と、伝え聞いた神話によって死後の世界について語ろうとする。ソクラテスは、自らの語りうる範囲を超えるようなところは神話的な説明を用いようとする。この部分は、ひとりの信仰者としてのソクラテスが描かれており、『ソクラテスの弁明』とも重なる部分である。本書の内容は以上となる。

次回は『クラテュロス』。

プラトン『クリトン』一読

ソクラテス以前の哲学者たちは、世界とは何か、自然とは何か、について考えていた。例えば最初の哲学者と評されるタレスは、万物の始源は水であるとした。アナクシマンドロスはト・アペイロン(無限なるもの)を考え、アナクシメナスはアーエール(空気)を考えた。ピュタゴラスは事物と数の比例関係を考え、ヘラクレイトスは万象に潜むロゴスを考えた。その後、パルメニデスの登場によって、自然を巡る思索は1つの転換期を迎えることになるが、それについては『パルメニデス』の項にて触れたい。

さて、自己の探求を初めて行なった哲学者はヘラクレイトスと言われている(ニーチェによる指摘が最初か?)が、人間がいかに生きるべきかについて初めて探求した哲学者はソクラテスである。

『クリトン』は初期対話篇に分類され、また『ソクラテスの弁明』の続編である。副題は「行動はいかにあるべきかということについて」。

クリトンが、獄中のソクラテスに対して、国外逃亡の話を持ちかける。家族やその他慕う人がたくさんいて、生き延びる手段もあるのに、安安と死を受け入れてしまってはいけない、と彼はソクラテスに説得を試みる。

ソクラテスは言う。多数派が正しいということは必ずしもありえない。多数派の何も分かっていない考えよりも、ただ1人の専門家の知のが勝る。したがって、何が正しいのかは自ら考えてみなければならない。また、彼はこう言う。

「大切にしなければならないことは、ただ生きるということではなくて、よく生きるということなのだ。」

この「よく」は、全集(田中美知太郎訳)では平仮名になっているが、他の和訳では「善く」とされることがある。そして、この「善く」は、所謂善悪の善のみではなく、正邪の正、美醜の美の意味をも含む。そして、ソクラテスはクリトンにこう問いかける。

アテナイ人の許しを得ないで、ここから出て行こうと試みるのは、正しいことなのか、それとも正しくないことなのか。」

ここから吟味に入る。ソクラテスは、婚姻の法を以って生まれてきて、さらに子どもを産んだ(古代ギリシアでは、女性が子どもを産むというよりは、男性と女性のどちらも自らが子どもを産むという表現が用いられた)。ならば、ソクラテスの生は、常にすでにアテナイの法に従っているのである。そして、他の国家の法を目の当たりにしながら、アテナイの法について知っている。これは、アテナイの法に同意しているということである。

ここで、国外逃亡をするということは、三重の不正を犯している。すなわち、生みの親に服従しないこと、育ての親に服従しないこと、そして、服従することを約束しておきながら(つまり死刑を受け入れながら)服従せず、よくないと思った点を指摘しないまま国を去るということである。そのような生き方は、正しくないし、善くもないし、美しくもない。ただ生きるのではなく、よく生きることが重要なのだから。内容は以上である。

「よく生きること」においては、生と真・善・美が結合している。そのような生き方を、ソクラテスは実現できたのだろうか。少なくとも、ソクラテスは真・善・美がそれぞれ何であるかということについては、明確に知るわけでもあるまい。これは、他の初期対話篇の検討が必要だろう。

それにしても、よく生きることとは、至福であるのだろうか?よく生きることで本当に幸福になれるのだろうか?

「よく生きること」の真・善・美は、自己が至福であるということも含まれるのだろうか?定義上含まれるのであればそれを探求する価値はありそうだが、もし含まれないとしたら、それは単なる抑圧である。ただ生きるほうがマシだ。

次回は『パイドン』。

プラトン『ソクラテスの弁明』一読

孔子ブッダ、イエスムハンマド、そしてソクラテス――古来「聖人」と呼ばれてきた彼らは、自らは書物をひとつも著さなかった。彼らがいかなることを語りそしていかに振舞ったか、それは主に彼らの弟子たちの証言を通して知られるのみである。

ソクラテスがいかに生きたかについては、主にクセノフォンの証言と、プラトンの初期著作を通して知ることができる。しかし、プラトンの著作はあくまでもプラトン自身の語りであり、実際のソクラテスの有りようそのものとはズレがあることも認めなければならない。ソクラテスプラトンの思想を峻別することは、確かに著述年代や著述内容からの推定によってある程度は可能ではあるだろうが、明確には不可能である。

とはいえ、歴史そのものを解明することは私にはさして重要ではない。重要なのは、読まれる客体であるテクストと読む主体である私の関係である。テクストにおいて何が語られていて、私が何を読み取ったのか、私がどのようにテクストと対話し、どのように即時的な生の場においてその知恵を展開するのか、これこそが古典を読む意義ではないかと思う。

さて、今回は『ソクラテスの弁明』である。副題は付されていない。

齢70のソクラテスは、「青年を腐敗させ、国家の認める神々を認めずに、別の新しいダイモン(鬼神)を祭っている」という理由で告訴されてしまう。舞台は、その審議において「法律の規定に従い」ソクラテスが弁明を試みる場面である。告発者たるメレトスとの少々の対話を除けば、ソクラテスは「アテナイの諸君」と一般市民に対して呼びかけ、演説を行う。短い問答を繰り返す他の初期対話篇とはこの点で異なる。

しかし、この「弁明」は、自身の有罪を認め減刑を求めるものでも、単に自身の無罪を市民に納得させるためのものでもなかった。そのうえ、対話篇後半からは法廷弁論の形式を超えて彼自身の主張がなされる。結果的に市民の投票によって死刑判決が下されたが、そのときも国外追放の刑を申し出るようなことはしなかった。彼ははじめにこう断る。

「わたしには、それ(=弁明)がどんな仕事ということは、ぜんぜんわからないというわけではないのです。しかし、まあ、とにかく、そのことの成否は、神のみこころにおまかせして、ただ法律の規定に従い、弁明をしなければなりません。」

彼がなぜ、それも死ぬまで、国外逃亡をせず、ただ法律の規定に従ったのか、それは『クリトン』において語られる。この対話篇で問題なのは、彼が神の御心をどのように捉えているかである。

ソクラテスは、彼の友人から、デルフォイの神託において次のような証言を授かった。「ソクラテスよりも賢い者はいない。」と。

しかし、ソクラテスには、長い間考えてもどうしても自分が賢い人間とは思えなかった。そして、神が嘘を吐くとも疑えなかった。そこで、彼は知恵があると思われるさまざまな人々を訪ねることにした。

さまざまに知者と呼ばれる者たちを訪ね、例の問答法(ディアレクティケー)によって彼は彼らをやり込めていく。ソクラテスは、『エウテュプロン』においても、彼自身は何も知らないと言い張り、対話相手に善美に関わる特定の事柄(敬虔とは何か)の主張をさせてから、相手の論の隙を突いて、論駁する。そのようなことを知者と思われるあらゆる人々に対して行った。しかし彼は納得のいく回答を引き出すことができなかった。ついに彼は気づく。

「この人間より、わたしは知恵がある。なぜなら、この男もわたしも、おそらく善美のことがらは、何も知らないらしいけれども、この男は、知らないのに、何か知っているように思っているが、わたしは、知らないから、そのとおりに、また知らないと思っている。だから、つまりちょっとしたことで、わたしのほうが知恵があるということになるらしい。」

所謂「不知の知」(無知の知は最近ではこのように訳される)である。彼は、やはり神託は誤っていなかった、そして、人間の知恵というのは価値のないものなのかもしれないと神託は述べたいのかもしれない、とまで言う。

次に、ソクラテスは、彼の告訴人たるメレトスを告発する。ダイモンも国家の神々のひとつであるのに、神々を認めないだなんておかしい、そして、私(=ソクラテス)は、老若男女問わず議論をしているし、さらに私の行なっていることは、自分の他の人々を善へと導く行為だ、それが自分の使命だ、と。

「つまりわたしが、歩きまわって行なっていることといえば、ただ次のことだけなのです。諸君のうちの若い人にも年寄りの人にも、誰にでも、たましいができるだけすぐれたよいものになるよう、ずいぶん気をつかわなければならないのであって、それよりも先に、もしくは同程度にでも、身体や金銭のことを気にしてはならないと説くわけなのです。そしてそれは、金銭をいくらつんでも、そこからたましいのよさ(徳)が生まれてくるわけではなく、金銭その他のものが、人間のために善いものとなるのは、公私いずれにおいても、すべてはたましいのよさによるのだからと言うわけなのです。」

彼の言い分では、彼は、青年をとっつかまえて善美を議論するのは、彼らを腐敗させるためではなく、むしろその魂を善いものにするためである。それは、神がソクラテスに与えた使命である。メレトスの告発は、ソクラテスに言わせれば、ソクラテスを憎む人々による中傷と嫉妬が重なった結果なのである。

そして彼は宣言する。私は決して死ぬまでフィロソフィーをやめない、つまり知を愛し求めること(哲学)をやめない、と。仮にフィロソフィーの活動の禁止と引き換えに国外追放の刑を求め、ただ生き延びることを選んでも、それは神に対する不服従である。

「またさらに、人間にとっては、徳その他のことについて、毎日談論するという、このことが、まさに最大の善きことなのであって、わたしがそれらについて、問答しながら、自分と他人を吟味しているのを、諸君は聞かれているわけであるが、これに反して、吟味のない生活は、人間の生きる生活ではないと、…」

ソクラテスの弁明』で語られている内容は、部分としては少し難しいが、それら諸部分は他の対話篇において議論されていることもある。細かい吟味は抜きにして、以上が『弁明』の内容としたい。

ソクラテスは、さまざまな事柄について、必ず自らの吟味を経てから答える。神託においてもそれは例外ではなく、自ら信仰する神の言葉であっても、ありのままに受け入れるのではなく、その言葉を自らの口と足を用いて深く吟味する。しかし、彼は当時のアテナイの誰よりも深く篤く神々を信仰し、かつ神々に愛されたのであった。

彼の振る舞いは、当時さまざまな宗教や政治的な言説が飛び交うカオスであったアテナイにおいて、自国の神々に奉仕する信仰者そのものであった。彼はその生き様によって、多くの弟子と敵を生み出した。そして、彼はひいては西洋思想の豊かな源泉にもなったのである。

次回は『クリトン』。

プラトン『エウテュプロン』一読

ポケモンGOの配信が開始されたときに、流行りに乗じて「プラトンGO」を始めようと決めた。すなわち、プラトン全集を1巻から読み進めようという試みである。


しかし若干のポケモンGOユーザーが3日で飽きたように、私の試みも長続きしなかった。夏休み期間中は、全集の置いてある研究室がなかなか利用する間がなかったのもあるし、最初に読み始めたのがプラトンの著作の中でも分量が最長である『国家』だったのもある。
しかし、秋学期が始まり、空きコマの時間を研究室で過ごせるようになった。週1巻ずつ読めば、秋学期中に全巻読み終わらせることができる。この機を逃すわけにはいかない。プラトンGOで、新たな冒険を始めよう。


というわけで、最初に取り扱うのは、プラトン全集第1巻収録の『エウテュプロン』である。副題は「敬虔(ホシオテース)について」。


プラトンの著作は、彼の師であったソクラテスを主人公とする対話篇で構成されている。簡単に言えば、ソクラテスが彼の論敵を倒していく哲学物語である。タイトルは、ソクラテスの対話相手であることが多い。『ソクラテスの弁明』『国家』『法律』は例外である。したがって、今回の対話相手はエウテュプロン。


また、プラトンの著作は3種類に大別される。1つ目は、相手の主張を論駁し議論を行き詰まり(アポリア)に陥らせるという、ソクラテスの実際の性格に忠実に書かれている初期対話篇。2つ目は、著者プラトンイデア論に代表される自身の考えをソクラテスの口を通して語る中期対話篇。3つ目は、プラトン自身による自己批判期である後期対話篇。「エウテュプロン」はこの内の初期対話篇である。


内容に入ろう。エウテュプロンと出会ったソクラテスは、エウテュプロンが自身の父親を殺人罪で告訴したことを知る。殺された男は、エウテュプロンの日雇い人であり、エウテュプロンの奴隷の一人に腹を立てて殺してしまった。そこで彼の父は、取るべき処置を聖職者に尋ねるまでの間その男の手足を縛って放置していた。その間に彼は死んでしまった。


しかしソクラテスは、父親を訴訟に起こすことは逆に不敬虔な行為なのではないか、とも恐れないエウテュプロンの言動に対して、彼は敬虔とは何であるか、また不敬虔とは何であるかを心得ているのではないかと考え、「敬虔はあらゆる行為においてそれ自身と同一であり、他方不敬虔は、いっさいの敬虔と反対であるけれども、それ自身とは同じ性格であり、いやしくも不敬虔であるかぎりのものはすべて、その不敬虔という点において、ある単一の相を持っている」(A)ことを彼に同意させてから対話を始める。


エウテュプロンはまず敬虔をこう定義する。
「敬虔とは、私が現在行っているまさにそのこと、すなわち、問題が殺人であれ、聖物窃取であれ、また別の何かそういった類のことであれ、罪を犯し、不正を働く者を、それがたまたま父親であろうと母親であろうと、あるいは他の誰であろうとも、訴え出ることであり、これを訴え出ないことが不敬虔である。」


ソクラテスは次のように返す。君の今言ったことは敬虔と呼ばれるものの内のひとつに過ぎない、すべての敬虔なことをそのまま言い換えられるその相そのものを教えて欲しい、と。エウテュプロンは次のように定めた。
「神々に愛でられるものが敬虔であり、愛でられないものが不敬虔である。」


ソクラテスはまた次のように返す。神々の間でもどれが敬虔でありまたどれが不敬虔であるか、考えは分かれるだろう、そうなると同一のものが敬虔かつ不敬虔になる、それは最初に君が同一したところ(A)に矛盾する、と。再度定義がし直される。
「すべての神々が愛するもの、それが敬虔なものであり、その反対のもの、すなわち、すべての神々の憎むものが不敬虔なものである。」


しかしソクラテスは次のように問う。すなわち、敬虔なものであるから神々に愛されるのか、それとも神々に愛されるがゆえに敬虔なものであるのか。
彼はこう言う。〈運ばれるもの〉は運ばれるから〈運ばれるもの〉なのであり、〈運ばれるもの〉が〈運ばれるもの〉であるがゆえに運ばれるのではない。〈見られるもの〉は見られるから〈見られるもの〉なのであり、〈見られるもの〉が〈見られるもの〉であるがらゆえに見られるのではない。事物は、それが〈作用(性質)を受け取るもの〉であるから作用(性質)を受け取るのではなく、作用(性質)を受け取るから〈作用(性質)を受け取るもの〉である。愛される性質があるから愛されるのではなく、愛されるからこそそれは愛される性質があると言える。したがって、神々に愛されるからこそ〈愛されるもの〉である。
だから、神々が愛するのは〈敬虔なもの〉だけではない。〈愛されるもの〉は複数個ある。整数は偶数の部分集合であるが、偶然は整数の部分集合ではないように、〈敬虔なもの〉は、〈愛されるもの〉の部分集合ではあるが、その逆は成り立たない。
ところで、〈敬虔なもの〉は〈正しいもの〉の一部分であるのだから、〈敬虔なもの〉が〈正しいもの〉の内でどのような部分であるのかを考えればよい、とソクラテスは導く。エウテュプロンは、次に、こう定義し直す。
「〈正しいもの〉の内、〈敬虔なもの〉は神々の世話に関わる部分であり、他の部分は人間に関するものである。」


「世話」の語が吟味され、神々の世話とは、奴隷が主人にするような世話、すなわち奉仕であるとされる。
「〈正しいもの〉の内、〈敬虔なもの〉は神々への奉仕である。」


さて、どのようなものが神々への奉仕に当てはまるのだろうか。ここでは、神々への請願と贈り物であるとされる。ところが、そうなると神々に嘉納されるものは〈神々に愛されるもの〉になってしまう。〈敬虔なもの〉は〈愛されるもの〉の部分であるから、再度〈敬虔なもの〉とは何かと問わなければならない。


ここで、ソクラテスが敬虔について再度問うと、エウテュプロンは急用と吐かしその場を去ってしまう。以上で『エウテュプロン』は終幕となる。


aという語の定義が予め与えられていない状況で探るとき、aはいかなる集合に含まれるか、その集合の内で他の部分とどのような差異が見出されるか、が重要となるようである。初期対話篇の中には今回のような定義をめぐるアポリアに陥るものは幾つか見られる。他の対話篇を検討しつつ、この定義をめぐる難問を解いていこう。


次回は『ソクラテスの弁明』。